前回は、日本で観光業として「おもてなし」する場合の話をちらっとしましたが(参照「日本の『おもてなし』の勘違い~観光業編~」)、本当にお伝えしたいのは個人的な経験から感じた今回のお話しです!
海外から友達が訪ねてくる場合、みなさんならどんな風に「おもてなし」しますか?
目次
個人単位での「おもてなし」の勘違い
海外から友達が訪ねてくる場合、どんな風に「おもてなし」しようと考えますか?
まず、とりあえず浅草に連れて行って仲見世をブラブラ、渋谷のスクランブル交差点で写真を撮ってあげて、お寿司かうどんと天ぷらかに連れて行って、東京タワーかスカイツリーの夜景で大満足!(地理的利便性を完全に無視した計画ですね!方向音痴あるある!笑)
あるいは、丸一日付き合うと約束したはいいけど、リクエストされたのは「秋葉原にとりあえずいきたい」とか「渋谷に連れて行ってくれれば行きたいところ見つかるよね!?」くらいなもので、実際に現地で路頭に迷ったりしたことある人もいるのではないのでしょうか?
生まれも育ちも東京の私からしても東京案内とは至難の業です。大プロジェクトです!事前にやりたいことは全部教えてほしいし、せっかく来るんだからできるだけその全部を叶えてあげたい…
彼らが一瞬でも楽しんでないように見えたら、食べられない料理があるレストランに連れて行ってしまったら、人混みや満員電車に遭遇して疲れさせてしまったら…自分は案内人として不十分のような気がしてしまいますよね。(心配性の私だけかしら?)
でも、私も含め、多くの日本人個人が旅行者に対してホストになるときの「おもてなし」の勘違いがあることに気づいてしまいました!!
まず!
日本人が思うほど、気を遣わなくて良いという点です!
欧米人は個人行動に慣れている
楽しむかどうかは旅行者である彼らの責任だ、と彼ら自身は結構分かっています。特に欧米人は一般的に自立していて個人行動に慣れています。(アジア人は…どうだろう)
案内を頼まれたからにはある程度ちゃんとした責務を果たしたいと思う日本人をよそに、彼らは現地の人に知らないところに連れて行ってもらって、知らなかったことが見られたらいいなーくらいに思っているそうです。あとは1人では入りにくいレストランに一緒に行って欲しいとか、日本語が分からないときに助けてほしいとか、案内人としてというよりは、一緒に色々な場所をまわる友達のような感覚でいる感じを受けます。
ですから、大げさにもてなしたり、それこそ神様のようにゲストを扱う必要はないのですね。「そんなに気を遣わなくていいのに!」というのが、滞在者の主張。一緒に楽しみたい+ちょっとしたことで助けてほしいだけなのに、あまり心配されすぎてもうっとおしいと思われたりすることもあるんです。
気遣いがうっとおしい!?言語の違いは言葉の違いを超える
なぜうっとおしく聞こえるかと言うと、一つには日本語では「ごめん、すみません」という言葉を軽く使える一方で、英語(特にアメリカ英語)でその直訳の”sorry”というと、実際に意味しているより重く聞こえるということがあります。アメリカ人は謝る時しかsorryと言わないと言われています。全く言わないわけではないんですけど、やっぱり日本人の感覚からすると頻度はかなり落ちます。(ちなみにイギリス人は日本人と近い感覚でsorryと言います!)なので、気を遣って「あっごめん!」くらいのつもりで「Oh, sorry!」とか頻繁に言うと、悪いことをしていないあなたが謝っていることへの違和感と、あなたが楽しんでいないような雰囲気が伝わってしまうこともあるんですね。
一緒にいて楽しいだろうと思えない人には案内役を頼まないですよね?一緒にいて楽しい≒友達という認識の彼らにとっては、あなたが案内人としてどれだけ素晴らしい仕事をするかより、一緒に楽しい時間を過ごせることを期待しています。
日本人気質に理解のある人なら、気遣いができて素敵な人だと思ってくれるかもしれませんが、それでも日本人目線で彼らの希望を完璧に満たすのは前回の記事(「日本の『おもてなし』の勘違い~観光業編~」)に書いたように結構不可能に近いので、自分がすり減る前に力を抜きましょう♪
つづき>>②それでも気を遣いたいのが日本人らしさだとしたら?
[…] 前回記事>>①個人単位でのおもてなしの勘違い […]